箱の中で怒りながら禁酒?

僕は自分の飲酒に問題があることを知っている。それでもお酒が大好きで、最後の一杯が飲めないでいる。一方、禁煙は10年くらい続いていて、もう自分は嫌煙家だと思うほどだ。

何かヒントはないかと「禁酒セラピー」と同著者の「禁煙セラピー」を読み直してみた。酒かタバコかの違いはあるが、書いてあることは同じだった。酒(タバコ)を続けることで得るものはない!さあ最後の一杯(一本)を飲んで、幸せな人生をはじめましょう!といったものだ。

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酒(タバコ)は、販売企業が大金を使ってコマーシャルを流し、すでに依存している社会から勧められ、税金と引きかえに公認された、金と時間を費やして健康を損なう毒物である。ここまでは完全に共感できる。また、それらがリラックスやコミュニケーションを生み出していないことも理解できる。

タバコはまずい。今なら分かる。

お酒はまずい。これがまだ分からない。毒物であっても美味しいから飲む。酒量をコントロールして、楽しめばいいじゃないか。それができれば断酒せずに済むじゃないか。

そして、すぐに、それができていない自分に気がつく。酒のことになると自分が箱の中に閉じこもっているようだ。酒を取り上げられる予感がするだけで怒っているようだ。

夜は江戸一で、かき豆腐、ふきのとう、お新香、お銚子4本。うまかった。

まだ最後の一杯を飲めない。

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