カテゴリー: 本

  • over the rainbow

    「over the rainbow」を観る。

    蜷川実花、2004/6の作品。被写体に、片瀬那奈、伊東美咲、SHIHO、今宿麻美、小林明実、楓、アリス、 melody、田中美保など。

    最近の蜷川さんと違うのは、ギミックを加えない写真が圧倒的に多いこと。自然のままにある人と背景を撮りまくっている。ありのままを撮っているのに、彼女特有の色彩に溢れている。これはすごい。

    今も、新しい挑戦を続けている彼女への期待は尽きないし、そのポテンシャルはすごいはず。ただ、この作品は(今が悪いように聞こえるかもしれないけど)小細工抜きで個性を表現している。隠そうとしてもあふれ出てしまうほどの個性を感じる。彼女が本来持つ色という個性を。

    ページをめくって気が付いたのだが、色が、ピンクから少しずつ赤橙黄緑を経て青に繋がっていく構成にも感激した。あ、だからタイトルに「rainbow」とあるのか。後から納得してしまった。

    品薄でプレミアムが付く中、やっと手にした一冊。めぐりあえて良かった。

  • 仕事に役立つ「発想するコピーライティング」を読む

    「発想するコピーライティング」を読む。

    広告コピーについて学ぶドリル。入門書と言うよりドリル。核心だけ知りたかった僕には少々まわりくどく感じたが、コピーライターを目指す人に必読と言われるのも頷ける。編集会議コピーライティング講座で扱われた、具体的な課題に対する解説、受講生とのやり取りが豊富で、一読するだけでも多くのヒントを得る。

    媒体が印刷物から放送、そしてWebに移り変わっても、根底にあるのは言葉なのだと知った。

    資料として、成功した広告の例が多く収められているのも嬉しい。

  • セイゴー本「知の編集工学」を読む

    「知の編集工学」を読む。

    この本は「編集工学」という方法に関する入門書となることをめざしつつ、「編集は人間の活動にひそむ最も基本的な情報技術である」という広いテーマを展開した試みになっている。

    そもそも「編集工学」て何よ?という段階から僕は始まるのだが、この本で取り上げられる「編集」とは、雑誌や書籍の「編集」ではなく、誰もが日常的に行っていることを指す。何かを喋ること、何かを思い悩むこと、それ自体が「編集」であると。

    「編集」という言葉を辞書で引くと、

    一定の方針のもとに、いろいろな材料を集めて新聞・雑誌・書物などを作ること。また、その仕事。映画フィルム・録音テープなどを一つの作品にまとめることにもいう。

    とあるが、これをもっと、とてつもなく広義に捉えた行為についての書。ぶっちゃけ、つかみ所がない…てのが印象。入門書という位置付けの本なのに。

    ただ「編集」とは、とても身近にあり、無意識で自分が行っていることだとは判る。そう考えれば、情報を整理して有益なものに変えていくためのヒントがたくさんある。逆に、すでに誰しもがしていることを体系的に研究している人がいるとは驚きであり、興味は増すばかりだ。これは大きな出会い…なのかもしれない(まだ判らないのだ)。

    最近読んだ本で、こんなに赤線を引いたのは久しぶり。繰り返し読み、咀嚼して、自分の思索の血肉としていきたい。今はただ読後の興奮が残るのみ。

    編集は遊びから生まれる
    編集は対話から生まれる
    編集は不足から生まれる

    という導入で書かれたことから意識してみよう。

    (余談、と言うか予告)
    実はこの本と言うか、松岡正剛という人物を無視できなくなったので読んだ。セイゴオを知る。が今夏のテーマ。すでに手元には「17歳のための世界と日本の見方―セイゴオ先生の人間文化講義 」と「ちょっと本気な千夜千冊虎の巻―読書術免許皆伝」が控えている。

    (参照1)
    松岡正剛の千夜千冊
    このサイトに出逢わなければ、彼自身を知らないまま生きていたと思うんだけど…これは!と思う本をWebで検索すると、必ずと言って良いほど辿りつくんですよ。

    (参照2)
    64編集技法
    これは本書でも紹介されているのだが、これで自分の接する事象(のほとんど)を整理=編集できるのかもしれない、と感動した。これから理解していく。

  • 自分のことだった「妄想に取り憑かれる人々」を読む

    「妄想に取り憑かれる人々」を読む。

    最もふさわしくない場面で、最もふさわしくない想像をしまう精神(こころ)。強迫性障害において世界的権威である著者が、一般人にも判りやすく説いた心理学の書。

    僕も妄想に浸る方だと思うが、ここに書かれている症例は、正直、恐ろしい。妄想だけに留まるのなら他人に害はない。本当に恐ろしいのは、自分自身がここまで「脅迫的」な妄想に陥ることだ。

    性的・暴力的な妄想・衝動の具体的事例と、それを対処的に治療する術について書かれている部分は身の毛もよだつ。そして、一過性の妄想…ちょっとした想像や予測、誰しもが経験しているはず事実を再認識することになる。

    ひとつ面白かったのが、進化論的見地から捉えた妄想。いつもエロいことばかり妄想している人の方が、あまりエロいことを考えない人より子孫を多く残すらしい…ってこと。俺か。

    思考は過度に抑制しようとすれば、より深まってしまうのが常。自分の妄想に罪悪感を覚えたとき、さらに非現実な思考に陥るよう、人間はできている。非常に興味をそそられる一冊だった。

  • 言葉の大波「四季をめぐる51のプロポ」を読む

    「四季をめぐる51のプロポ」を読む。

    アランの言葉(そして神谷幹夫による訳)に感銘を受ける。週末、ゆっくり過ぎゆく時間の中で読んだせいもあろうか。

    人間は考える、それには季節などない。という言葉ではじまる。しかし、季節の中で人はめざめ、季節と人は近しいことを知る。四季、時と自然に向かい合ったアランの思索が美しい。

    日本人の僕が知っている四季とは少し違った視点で書かれている。