老いにこんなアプローチあり!?演劇のような本「へろへろ」を読んだ

へろへろ 雑誌『ヨレヨレ』と「宅老所よりあい」の人々を読んだ。ぶっ飛んだ。いや、ぶっ飛ぶ前に、大笑いして、目頭がじんわりしてきたら、やっぱりバカバカしくて、涙が止まらなくなってぶっ飛んだ。(多分に本書の影響を受けた書き方)

へろへろ 雑誌『ヨレヨレ』と「宅老所よりあい」の人々

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キャラの濃い人物が次々に登場して、はちゃめちゃな展開が続いたかと思ったら、ぐっと引き込まれて共感して感動していた。この本はまるで演劇の舞台のようだ。序盤の悪ふざけ(?)が本のテーマに身構える頭を柔らかくしてくれた。懸命に生きる人の姿は、とらえようによっては滑稽だ。そして畏れ敬う気持ちが溢れてくる。読後あらためてテーマについて考えさせられた。すごい構成だ。

お金も権力もない福岡の老人介護施設「よりあい」の人々が、森のような場所に出会い、土地を手に入れ、必死でお金を集めながら特別養護老人ホームづくりに挑む!

彼らの行動原理は「一人の困ったお年寄りがいるから始める」で、そこに損得勘定はない。必要だから資金集めにも奔走するが「自分たちで集めたと胸を張って言えないなら、そんなお金にはなんの意味はない」と、自分たちの力でできる範囲を大切にする。甘えられる人には遠慮なく甘えるが、申し訳ないと思う気持ちを、ありがとうという気持ちに変えることを大切にする。

「ぼけても普通に暮らしたい」って奇妙な欲求だろうか?ぼけないためにアレしよう!コレしよう!が流行っている。つまり今は「ぼけたら普通に暮らせない」世の中だ。ぼけたら住み慣れた土地を離れ、監獄のような施設に入れられる。

「わたしがそんなに邪魔ですか」

ぼけた人を邪魔にする社会は、ぼけない人も邪魔にしはじめる社会だ。ただ「ぼけてない」ってだけで、おぼつかない足腰、ろくに見えない目、まともに働けない身体も五十歩百歩だからだ。

それでも彼らはお年寄りたちに「行き場」と呼べる場所を作ろうとしている。できる範囲でできる人ができることをする共同体を作ろうとしている。当たり前の願いや生活をできるだけ支援しようとしている。生きることを楽しもうとしている。もがきながらも。

一昔前は普通にあった社会の形に思える。老いという不可抗力にまで自己責任がつきまとう今。国家という人の生命・自由・財産を守るはずのものが、生存権に帰属する介護問題をサービス産業として民間に丸投げした今。もう後戻りはできないのかもしれない。

「お金でつなかっていないことのよさ」を僕も早めに知っておいた方がいいのかも。だって「お金に自分の名前を書く欄はない」のだから。きっと何があっても「どうにかなるさ」と思えるのは人と繋がっているからだ。

塩田泰三さんのTweetがきっかけで読んだ。演出家・脚本家である方が絶賛するのが分かる。

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