「ピアノ、ジャズ、AI・テクノロジー、そして創造性」という4つの要素が交差する領域は、現在もっともスリリングな議論が起きている場所の一つです。
「人間だけが持つ『揺らぎ』の美学」と「アルゴリズムによる『最適解』の美しさ」がどう対話し、どう衝突するのか。3つの異なる視点から深掘りする特集を作成しました。
テーマ①:ビル・エヴァンスの「曖昧さ」の数理とAIの限界
ビル・エヴァンスは、ジャズピアノにフランス印象派(ドビュッシーやラヴェル)の和声感覚を持ち込み、「ルートレス・ボイシング(根音を省略した和音)」を確立しました。これはAIにとっても非常に興味深い解析対象です。

具体例:『Peace Piece』または『Blue in Green』
- 音楽的特徴: 特定のキー(調)に解決しない浮遊感。左手はオスティナート(執拗な反復)を続けながら、右手は調性を無視したかのような即興を行う。
- AI・テックの視点: 現在の音楽生成AI(MusicGenなど)は「確率論」で次の音を予測します。しかし、エヴァンスの和音は、従来の理論的解決(ドミナント→トニック)を意図的に遅らせたり、無視したりします。AIに「エヴァンス風」を学習させると、和音の構成音は模倣できますが、「沈黙の間(マ・スペース)」や「タッチの濃淡」まで再現するのは至難の業です。
考察:計算可能な「美」と計算不能な「哀愁」
エヴァンスの演奏における「創造性」は、「理論の構築」とその「意図的な崩壊」のバランスにあります。AIは「正解の音」を並べることは得意ですが、エヴァンスが持つ「内省的な弱さ(vulnerability)」——あえて音をかすれさせたり、タイミングをわずかに遅らせて哀愁を誘うような「人間的な不完全さ」を、創造的意図として出力することはまだ難しい領域です。
おすすめ視聴・聴取
- 検索キーワード:
Bill Evans Peace Piece original - 注目ポイント: 左手の単調な繰り返しの上で、右手が徐々に「調」から逸脱していくプロセス。この「崩れそうで崩れない」緊張感を感じてください。
テーマ②:ダン・テプファー (Dan Tepfer) と「可視化されるアルゴリズム」
現代ジャズピアニストのダン・テプファーは、プログラミングと即興演奏を融合させた第一人者です。彼はヤマハの自動演奏ピアノ(Disklavier)をハックし、「人間が弾いた音に反応して、AI/アルゴリズムがリアルタイムで伴奏や対旋律を生成する」システムを作り上げました。

具体例:『Natural Machines』プロジェクト
- 仕組み: ダンがピアノを弾くと、彼が書いたプログラムがリアルタイムでそのデータを処理し、鍵盤が自動で動き出して「返答」します。例えば、「ダンが弾いた音の『逆行カノン(楽譜を逆から読んだ形)』をAIが即座に弾き返す」といったルール設定です。
- AI・テックの視点: ここでのAIは「作曲家」ではなく「超高速で反応する共演者」です。VR映像とも連動し、音の高さや強さがリアルタイムで幾何学模様として可視化されます。
考察:拡張される創造性 (Augmented Creativity)
これは「AIに仕事を奪われる」のではなく、「人間の認知能力の拡張」です。人間は物理的に手は2本しかなく、脳の処理速度にも限界があります。しかし、アルゴリズムを介在させることで、ピアニストは「4本の手を持つ状態」や「人間には不可能な数学的構造」を即興で操ることができるようになります。ここでの創造性は、「制御」と「委譲」のダンスにあります。
おすすめ視聴・聴取
- 検索キーワード:
Dan Tepfer Natural Machines YouTube - 注目ポイント: 実際に鍵盤が勝手に動いている様子(Ghost Key)と、それに触発されてダンのフレーズが変わっていく「人間とマシンの対話」を見てください。
テーマ③:上原ひろみ vs 量子化(クオンタイズ)—— グルーヴの正体
AIやDTM(デスクトップミュージック)の最大の特徴は、時間を正確なグリッド(拍)に合わせる「クオンタイズ」機能です。しかし、上原ひろみのような超絶技巧ピアニストの創造性は、このグリッドからの「ミクロな逸脱」にあります。
具体例:『The Tom and Jerry Show』や『XYZ』
- 音楽的特徴: 高速なテンポの中でのストライド奏法、変拍子、そして爆発的なエネルギー。
- AI・テックの視点: 最新の「グルーヴ解析AI」を使って彼女の演奏を分析すると、数ミリ秒単位で拍の「前」や「後」に音が置かれていることがわかります。AIで完全にジャストなタイミング(グリッド通り)に修正すると、途端に彼女の演奏から「疾走感」や「熱狂」が失われます。
考察:身体性とエラーの価値

ジャズにおける創造性の源泉は「身体的限界への挑戦」です。指が追いつくか追いつかないかのギリギリの状態で生まれる緊張感、ピアノという物理的な物体を叩く打撃音、それらが「エモーション」として伝わります。
生成AIは「疲労」を知りません。疲れを知らない演奏には「必死さ」が宿りません。「人間が身体を使って音を出す」という制約そのものが、実は最大の芸術的価値であることを、テクノロジーとの対比が逆説的に証明しています。
おすすめ視聴・聴取
- 検索キーワード:
Hiromi Uehara The Tom and Jerry Show live - 注目ポイント: 彼女の表情と身体の動き。音が単なるデータではなく、全身運動の結果として生まれている点に注目してください。
総合考察:AI時代のジャズの未来
AIは、大量のジャズの過去データ(チャーリー・パーカーのフレーズや、キース・ジャレットの唸り声まで)を学習し、「もっともジャズらしいパターン」を生成することはすぐに可能になるでしょう。
しかし、ジャズの本質は「即興(Improvisation)」=「予期せぬアクシデントへの対応」です。マイルス・デイヴィスはかつて「ミスなどない。その次に何を弾くかが重要なんだ」と言いました。
- AIの創造性: 過去のデータに基づいた「確率的な最適解」の提示。
- 人間の創造性: ミスや感情、その場の空気による「文脈の破壊と再構築」。
これからの音楽家は、AIを「完璧な模倣者」として使うのではなく、ダン・テプファーのように「予期せぬカオスを生み出す触媒」として使い、そこからどう人間が新しい物語を紡ぐか、という「共創(Co-creation)」のフェーズに入っていくと考えられます。
いかがでしたでしょうか?次回は、
- 音楽理論とAIについてさらに詳しく(例:GoogleのMagentaプロジェクトがどう音楽を作っているか)
- 坂本龍一の晩年のテクノロジーとピアノの関わりについて
- 実践的なツール、例えば、自分のピアノ演奏に合わせて伴奏してくれるAIアプリ
などを調査しております。ご期待ください。

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